飯能市の基盤整備事業

長男と一緒に社会科研究をして、飯能市の基盤整備事業について詳しく知りました。

飯能市では、次の3つの土地改良事業が行われました。
1.下川崎地区土地改良事業 平成2年完成 13.6ヘクタール
2.下加治地区土地改良事業 平成9年完成 14.5ヘクタール
3.南小畔地区(平松芦苅場)土地改良事業 平成21年完成 約14ヘクタール

この土地改良事業では、次の工事をします
i) 小さな田んぼをまとめて大きくする → 農業機械が使いやすくなる
ii) 農道を広げる → トラクターが通れるようになる
iii) 用水路を深くして、田んぼの排水をよくする

下川崎地区の土地改良

1975年の航空写真と1989年の航空写真を見比べてください。田んぼの細かさが違います!
(航空写真は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスからダウンロードしました)

1975年の下川崎の航空写真

1975年の下川崎の航空写真

1989年の下川崎の航空写真

1989年の下川崎の航空写真

下川崎地区の記念碑の言葉を書き出してみます。

本地域の水田は、道路が狭く不正京奈湿田で農作業の機械化が遅れ農業者にとって作業は過重となり、また、稲作以外の作付が不可能できわめて効率の悪いものであった。
 農業の近代化と時代の移り変わりの中で、土地の荒廃を憂い関係者全員の賛同と協力のもと昭和61年下川崎土地改良組合が組織された。
 下川崎地区土地改良事業は、団体営土地改良総合整備事業(小規模排水)により13.6ヘクタールの土地を飯能市営施行として昭和62年7月16日埼玉県知事の事業認可を得て着手して平成2年3月31日に事業が完成しました。
 この一大事業により、豊かな耕土を作り協同の心を育んだことを銘記し、記念碑を建て長く後世に伝えるものである

小島農園の田んぼのお隣の田んぼで、里芋と稲作をしている関谷さんに、土地改良のことなどお話を伺いました。

下川崎の土地改良は、飯能ではじめてのこともあり融通が効いたそうです。本来ならば、30aの広さに田んぼをまとめないとだったのですが、それより小さく、各農家が所有していた田んぼの大きさでまとめたそうです。なので、端っこに3枚小さい田んぼ(1a, 2a くらい)があります。

田んぼをまとめるときに、畔がいらなくなるところがあるので、それが新しい田んぼとして売りに出たそうです。入札方式で何人かが購入したそうです。

田んぼではなく、これから畑として使いたいという地主さんは、川の上流に集められました。うちからすぐのところです。残念ながら、その半分くらいが今は耕作されていません。

下川崎の土地改良区の一部は、入間第二用水ではありませんでしたが、ポンプを使うことで水が使えるようになりました。ポンプがなければ、日照りが1か月続けば水がなくなる水路しかなかったので、本当にありがたいことです。

土地改良のおかげで農道が広くなり、トラクターで田んぼを耕せるようになって楽になったそうです。もう50年以上昔でしょうか、手押しの耕耘機が使われる前は、飯能でも牛を使って田んぼを耕していたそうです。牛の場合は、ウシの口を取る人と、後ろの耕作犂などを操る人と二人で作業しないとだったそうです。どこの家でも牛を飼えるのではないので、ウシを持っている人が、他の人の田んぼを耕したりもしていたそうです。

昔の飯能の米作りのことも知りたくて、田植え機が導入される前と後についても伺いました。昭和40年代は手植えをしていたそうです。当時とても高級な2条の手押しの田植え機を買ったとき、お父さんに「こんな高級なものを買って」と言われたそうですが、田植えが終わったときに「今年ほど楽な田植えはなかった」と喜んだそうです。歩いて補植をするだけですむようになったそうです。ちなみに、稲刈りよりも田植えの方が重労働だったそうです。

南小畔地区土地改良区は、農事組合法人精明として営農

最後に土地改良をした南小畔地区は、小さい田んぼで、湿地だったこともあり、休耕地も多かったそうです。90戸以上ある農家さんの意見をまとめることができたことが素晴らしいと思います。隣接する芦苅場地域では、農家の意見がまとまらずに土地改良はできなかったと聞いています。

土地改良では、南小畔川を深くして、排水をよくして、1枚の田んぼも70aと広くしました。田んぼの所有者で営農組合を立ち上げて、大型機械を購入して、米、麦、大豆の輪作をしています。

最近法人化したそうで、「農事組合法人 精明」という会社になりました。農業青年会議所のメンバにも、精明に所属している方がいるので、見学をしたことがあります。「給料は安くても、この土地を守る必要があるから」と言っていた言葉が印象的です。小島農園の畑の隣に、倉庫があり、大きな乾燥機などがあります。5月1日には、みんなでお米の籾まきをしている姿を毎年見ます。様々な人がいる中で、一緒に農業をすることは難しいことも多いと思うので、もう10年以上続いていることがとても素晴らしいと思います。

感想

米作りをしていて、南小畔地区の大きな田んぼ、営農組合が、いつも気になっていました。どうやって地主さんの意見をまとめて土地改良をしたんだろう?よく営農組合としてまとまって作業できるなぁと。

今回調べてみて、実は自宅のある川崎の隣の下川崎が1番に土地改良をしていたことが分かり驚きました。土地改良をした田んぼは、今でもよく使われています。

土地改良を選ばなかった川崎の田んぼを耕作していますが、やっぱり使いづらいです。土地改良した田んぼは、水が入るための小さい用水路と、本線の大きい水路まで、田んぼが細長く1枚になっています。土地改良していない田んぼは、水が入るところから、水が出るところまで、多いところでは3枚くらいの田んぼがあります。これでは、水を出し入れするのが大変だし、1枚が小さいので田起こし、田植え、稲刈りと、どの作業も機械でやるには手間がかかります。

土地改良を選ばなかった田んぼの中で、休耕地になっているところ、盛り土をして田んぼではなくなってしまっているところがあり残念に思います。まだ間に合うなら、平松川崎の田んぼを基盤整備してもらいたいと思います。盛り土した分も土をどかしてまた田んぼに戻せないものか?食糧危機が来たときに、飯能の人たちの食べ物を賄うのは、精明地区の田んぼだと思うのです。

30年前には無理でも、世代交代した今なら、地主さんの気持ちは変わっているでしょうか?南小畔地区の土地改良が11年前に行われたばかりと聞いて、まだ他の地域にもチャンスがあるのかな?と思いました。

下川崎地区土地改良事業 記念碑

下川崎地区土地改良事業 記念碑

下加治地区土地改良竣工記念碑

下加治地区土地改良竣工記念碑

南小畔地区土地改良竣工記念碑

南小畔地区土地改良竣工記念碑

カテゴリー: 米作り

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