種子法廃止をきっかけに、自家採種をはじめよう

4月1日に「種子法(主要農作物種子法)」が廃止されました。

ウィキペディアから引用します。

主要農作物種子法(しゅようのうさくぶつしゅしほう、昭和27年5月1日法律第131号)は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についてほ場審査その他の措置を行うことを目的として制定された日本の法律である。

突然廃止された種子法について、様々な意見が出ています。割と分かりやすい中立的な意見をご紹介します。
タネは誰のもの? 「種子法」廃止で、日本の食はどう変わるのか――種子の専門家に聞く

問題とされているのは、大企業により種子が独占されてしまうことです。インドでは、綿花の種がほとんどF1になってしまいました。カナダでは、大豆や菜種の多くが遺伝子組み換えになっています。

米、麦、大豆の自家採種をはじめましょう

小島農園では、種子法廃止をきっかけに農家が自家採種をすることを提案します。昔は、大豆、米、麦などは農家で自家採種するのが当たり前だったと思います。小島農園でも、大豆、米、麦は自家採種しています。自然栽培の農家さんのほとんどは、大豆、米、麦を自家採種しています。自分の畑で育った作物は、気候や病虫害に強いものが残っていくので、その土地の風土になじみ、土地の味になっていくのです。本来の種とは年々変わっていきますが、それが強さや、地域ごとの多様性になると思います。

小島農園では、野菜もできるだけ自家採種をしています。人参の花が可憐でいい匂いがするのを知っていますか?作物の一生を見ることができる種採りは楽しいですよ。

小島農園で自家採種した種たち。2017年11月のたねの交換会にて。

小島農園で自家採種した種たち。2017年11月のたねの交換会にて。

海外では、小麦の自家採種率が高い

Facebook友達が外国の自家採種率の高さを上げていました。今回文献を調べたところ京都大学大学院経済学研究科の久野秀二教授の資料(2017年4月)がありました。長い論文で、各国の小麦の自家採種の情報だけ抜粋しました。
主要農作物種子法廃止の経緯と問題点 -公的種子事業の役割を改めて考える-

アメリカ 2012年 1/3が購入種子、2/3が自家採種
カナダ 2011年 認証種子2割、残りが自家採種
オーストラリア 認証種子5%、残りが自家採種または種子交換
イギリス 約6割が認証種子由来、約4割が自家採種

日本のお米の自家採種は?(分かりません)

日本は、どのくらい自家採種しているのでしょうか。農協の優秀な営業努力のおかげで、種は買うものになってしまっているかもしれません。5年前に市内のお米農家さんに尋ねたところ、昔は自家採種していたけど今は買っているという方がいました。

米、大豆、麦などには、県ごとの推奨品種があります。埼玉県では、平成元年にキヌヒカリを奨励品種として採用し、平成27年に推奨品種廃止となりました。平成25年に「彩のきずな」を後継品種として推奨品種になっています。平成13年には「彩のかがやき」も推奨品種となっています。彩のかがやきを栽培していた農家さんが、2016年ごろから「彩のきずな」にしたと聞きました。

明治以降、公的機関による育種によって消えていった在来種

1924年生まれの藤井平司さんという育種家がいます。はじめ大阪府農事試験場品種改良部にいて、その後20年は野菜農家の現地指導をしながら品種の育成と研究を続けた方です。無施肥無農薬の「天然農法」というのを提唱していて、たくさんの農業に関する本も書いています「本物の野菜つくり」「共存の諸相」「栽培学批判序説」という本が我が家にあります。

1980年に書かれた「栽培学批判序説」では、次のようにありました。

昭和に入ると、稲では、この育種体制が地域的に整備されて、官庁の育成種(農林番号品種)は、逐次に在来種を追放していった。野菜もその影響を多分に受けて、昭和十年(1935)、長野県の≪高冷地指定試験地≫の設置を皮切りに、昭和十五年(1940)には、育種組織の設定が具体化するきっかけを作った。

そこで、明治のお米ってどんなだったんだろうと検索したところ、次の文献がありました。
伊豫米からみる明治・大正のおコメ

当時は、同じ品種でも地域によって呼び名が違ったりして、品種としては定かでないものが多く混じっていたようです。 明治 38 年に、愛媛農会が開いた農産物共進会では、コメで出展された 666 点のうち 136 点は品種とはみなされず、「品種はかくのごとく雑駁(ざっぱく)にして」と嘆いています。
しかし、中には「相生、栄吾、三宝」などのように、愛媛の篤農家が育成し、来歴の明らかな品種もあって、県外から導入された品種と比べても、ひけをとらない優れものでした。

〔優良品種の普及〕
愛媛県では、明治 33 年に農事試験場が発足します。愛媛農会では、品種の雑駁な状態を改善するため、明治 39 年に県内各郡に原種田を設置し、農事試験場での栽培成績が良い「神力、相徳、器量好、雄町」の種子づくりと配布を始めます。明治 42~43 年には、北豫・東豫の平坦部は、ほとんど「神力、相徳」に統一され、山間部は「雄町、栄吾」などが大部分になったと言います。
しかし、山間部その他事情の良くない地方では、「神力はもちろん、栽培が容易な相徳でさえ、その長所を発揮するまでに至らず、上浮穴郡や南豫五郡の過半は、今なお、品種は雑然とした状況」でした。

明治以前は、雑駁なお米があって、その土地土地でたくましく育っていたんだなと思いました。昔はたくさんの品種があったのが、どうしてなくなっていったのかと思っていたのですが、農業試験場で優良品種を作って普及したために、消えていった側面もあったようです。戦時中に人手不足によりなくなった在来種もたくさんあったそうです。

藤井平司さんの話をもう一つ引用します。藤井さんは、近代の科学的育種により、作物が弱体化したと言っています。

それでも、まだ、わたしらの時代の育種は、各地より在来種を集めることからはじめたものだった。そのころの在来種とは、いわゆる土地のくさである。この在来種は、その土地の土地柄に合わせた野性的な強さをもち、季節を味わう食味と、旬に必要な栄養源を提供してくれる、というオーソドックスなものだった。そして、これらの野菜なり、穀類などは、生活の知恵をしぼって、日常の暮らしの中で活用されていた。
 それにもかかわらず、農家の生活が、自給作物よりもおカネで評価されるようになったものだから、それまでの栽培技術に、カネもうけの技巧が必要になった。そこで、生活の便益になる優良品種は、カネもうけのよいものに改良(じつは改変)されたのである。しかも、この優良品種を栽培するのに必要な技巧的技術には、化学肥料や農薬やらの元手が入り用だったのだ。
 土地の草の生育は、自然に対応していても、人間の技巧的技術には応じてくれなかった。そこで、科学の名において、近代技術が開発されてきた。といっても不思議ではなかろう。カネもうけの品種、つまり商品としての品種には、早生・多収・強健・市場性など、すべてが人間の恣意な欲求を満たす要素を、具備することが必要条件だったのだもの…。
 この目標が誤りであることは、今は明白である。この条件をかなえるための近代的技術は、土地の生産力を根こそぎに破壊し、そのうえで新しい生産基盤をつくり<機械化―多肥化―多潅水―多農薬>で生産性をあげることだったのである。

小麦や米は、もともと背の高い作物でした。小島農園で栽培している古代米の神丹穂は、私の背丈ほどになり倒れやすいです。倒れないように、機械で収穫しやすいようにと背丈が短く育種されたと聞きました。作物の特性よりも、人間の都合を優先した育種により、作物が弱くなってしまっているのです。

なお、農業試験場の育種のおかげで、小麦「農林61号」やお米の「ササニシキ(東北78号、水稲農林150号 1963)」、「トヨサト(東海11号、水稲農林121号 1960)など栽培できています。大事に後世に伝えていきたいと思っています。

国任せ、公共機関に任せるのでなく、種は一人一人が守って繋いでいくもの

人間の體(からだ)は食べ物で作られます。食べ物はとても貴重です。その種が危ない、種類も少なくなり、遺伝子組み換えになってしまうかもしれない。とても大変な時代になっています。

どうすればいいのか?

一人一人が、種を播いて、種を未来に繋ぐことがとても重要だと思います。国に任せる、農家さんに任せるのではなくて、自分が何か行動をしないと間に合わないと思います。バケツ稲を育てることから始めてもいいかもしれません。農家さんにお手伝いに行くこともできますし、自分で田んぼを借りることもできるかもしれない、みんなで農家さんを応援して自家採種をしてもらうのもいいかもしれません。

反対するだけでは、何も進まないと思います。今ある種を未来につなげるためには、たくさんの人の手が必要です。たくさんの人が自家採種したら、ゲリラ的活動をしたら、大企業は一つずつを潰すことはできないと思っています。

大きなグループに所属してなにかしたつもりにならないでください。小さいことでも、一人でも、できることを始めるほうがいいと思います。一人一人が独立して行動して、それが緩やかにつながったときに、大きな力になると信じています。

ちょっと心が動いた方、ぜひはじめましょう。種をつなぐ仲間がいます。年に2回、たねのわではたねの交換会を開催しています。7月の最終日曜日と、11月の最終日曜日です。まずは種をもらって、育ててみて、いつか種が採れるようになったらその喜びをまた交換会で分かち合いましょう。

たねはみんなのもの、たねをわかちあい、たねを通じてつながっていきましょう。

2017年10月下旬、台風に負けなかった豊里

2017年10月下旬、台風に負けなかった豊里

カテゴリー: たねとり
2 comments on “種子法廃止をきっかけに、自家採種をはじめよう
  1. 湯浅恵子 より:

    直子さん、こんにちは!小川町にようやく引越した湯浅です。ここまで来るのは大変な道のりでした。長年暮らした東京から引越してきてまだまだ落ち着きませんが、畑が思いっきりできる快適な生活を手に入れることができて夢のようです。種子法はなんだかわからないうちに廃止されてしまい、不安な気持ちでいましたが、直子さんの提言を聞いて安心しました。自分たちで種を繋いでいけばいいんですね。これまで以上にそれを使命として行こうと思います。7月の交換会でお会いできますね。楽しみにしています。これからもどうぞよろしく!

    • なおちゃん より:

      湯浅さん、コメントありがとうございます。

      その後、自家採種もどうなるんだろう?という流れになってきていますが、自家採種は生きていくうえで必然の行為だと思います。
      とくに、昔からある在来種や育種権のなくなった固定種などは大切に取り継いで、未来に残していきたいと思います。

      7月の交換会お待ちしています。

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