狭山に、私たちと同じような感性のお友達Mちゃんがいます。暮らしを大切にしています。和綿を育てて、糸を紡いで、それを織っています。春に畑に遊びに来てくれたとき、姫にその自分で育てた綿から作った服をくれました。こんなに心のこもった贈り物はないと、驚きました。夏に、Mちゃんのうちに羊がやってきました。秋には、羊と一緒に遊びに来てくれました。
昨日、Mちゃんのおうちに遊びに行きました。丈ちゃんは仕事です。線路で使われる枕木、古いのを譲ってもらえることになり、いただきに行ったのです。しっかりしまった木で、とても重いので、チェーンソーで切って運ぶことにしました。
羊にと、ライ麦を持っていきました。こどもたちがあげると、食べてくれるので大喜びです。
Mちゃんのおうち、とっても素敵です。縁側も氣持ちがよかった。
お昼ごはんは、石窯でピザを焼くことになりました。「なにか具を持ってきて」ということなので、あれこれ持っていきました。Mちゃんち4人、我が家が5人です。石窯の中で燃える木の美しいこと。そして暖かいこと。ピザを作って、焼いて、切って、食べて。みんなの心がピザに集まります。ピザをまつわくわく感、ピザを食べたときのおいしさで幸せになる氣持ち、次のピザを待つ楽しみ。この時間って、とってもとっても大切だと思いました。この小さな幸せ、この温かい人の集まり。日常にある小さな幸せを見つけて喜ぶことができれば、特別なことはなくても満たされます。(この日は、ひつじもいて、石窯で焼くピザもあって特別でしたが)温かい人のつながりがあれば、もっと心が満たされます。そんな幸せな人が増えると日本が、世界が変わっていくのでと思います。
畑暮らし3年経って、暮らしについて思いが深まっています。普通の生活では、こども、大人、お年寄りが別々になっています。一緒にいると楽しいことが多いです。特に、去年赤ちゃんが生まれて、赤ちゃんがいる生活の幸せなこと。赤ちゃんが笑うだけで、周りの人が幸せになります。「一家に一人赤ちゃんいるといいよね」と丈ちゃんが言っています。地域のつながりが深いころは、いつも、だれかしらの赤ちゃんがいる状態だったのではと思います。そして、お年寄りの存在も重要です。老人ホームにいるのはもったいない。その知恵を分けてほしい、こどもたちと遊んでほしい。こどもを保育園、幼稚園に入れて、お年寄りを老人ホームにいれる、管理する人には楽かもしれないけれど、人間としては、一緒にいればお互いに補い合って、楽しく過ごせる。今は、義父母に助けてもらうことばかりですが、こんなに助けてもらっているからこそ、何かあったときは「私が!」という氣持ちでいます。離れて暮らしていると、そんな氣もちになりにくいのではないかと思います。
仕事、生活、余暇も別々になってしまっていますが、これも私たちの暮らしでは一緒になっています。なんでも区別すると分かりやすくなるけれど、区別しないあいまいなことも大切だと感じています。毎日の暮らしの中で、こどもと一緒に、ご飯を食べ、畑仕事をして、こどもは手伝ったり、遊んでいたり。仕事の合間に、こどもと遊んだり、赤ちゃんと一緒に休んだり。ちょっとポップコーンを炒るのを愉しんだり、ちょっとお散歩したり。
IT会社でソフトウェア開発の仕事をしていた頃は、仕事を任されて喜びもありましたが、それよりは間違いの許されない責任を重く感じることもなどストレスを感じていました。こどもが生まれて復帰してからは、時間がきたら帰る、こどもが体調を崩したら休むなど、仕事に専念できませんでした。母としても、泣く子を置いて会社に出かけたり、たまの残業で遅くに帰ってきたりするのに罪悪感を感じていました。農業をはじめて、自分たちが背負える範囲で責任ある仕事をして、こどもは一緒にいるので、会社にいたときに困っていたことはなくなりました。こどもと仕事をしていると、こどものちょっとした成長も楽しめます。それがとっても幸せなのです。こどもも、親と一緒にいて安心して遊んでいます。こどもと大人が一緒にいれる農業は、とってもいい仕事だなと思います。もちろん、丈ちゃんがこどもが入れるようにと、知恵を絞ってお膳立てしているからこそなのですが。
まだまだ仕事時間が多すぎて、なかなか「愉しむ」に時間がとれなません。稼ぐことに集中しすぎず、暮らしを大切に、日々の小さな幸せを感じながら過ごしていきたいと思っています。Mちゃんと久しぶりに会ったことで、愉しむ時間について大切だなと思いました。
最後はピザの写真。いろいろ作って、食べて、おいしかった。ほんと、穏やかで楽しい一日でした。次男がとっても居心地がよかったようで、なかなか、なかなか帰りませんでした。
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